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ム ヒ 少 年


            

「おはよう、高山さん」

「おはよう、大沢くん」

 大阪は堺市のとある中学校の裏門側には、フェンスに囲まれた広大な荒れ地がある。
 荒れ地と言っても樹木こそ少ないものの緑豊かで、この辺りによくある古墳なのか、何か大きな工場の跡なのかは今の生徒は誰も知らない。
 ただ、この敷地を横切り、工事用通路らしき砂利道を通って、何時もは施錠されている裏門の横の、破れたフェンスから教室に入ると、生活指導の立ち番先生に見つからず時間ぎりぎりに教室に滑り込めるのだ。
 
 同級生の二人の家は、この裏門を挟んで真反対側にあるのだが、いつの間にかこの荒れ地の、砂利道の端にある丸く拡がった空き地で落ち合う格好になる。
 どちらからともなく歩く速度を落として、50mほどしかないその砂利道をたわいのない話をしながら並んで登校するのが日課になっていた。

 二年生の一学期、中間テスト明けの蒸し暑くなりそうな朝。

「高山さん・・・」

「蚊が、いなくなる、スプレーって、知ってる?」

 大沢は思い切って聞いてみた。

 並んで歩くと言っても、いつも大沢は高山さんの半歩分、置いて行かれる。
高山さんの方が大沢より7cmも背が高いのだからいたしかたない。彼女の二歩は大沢の三歩だ。後ろをヒョロヒョロ付いてい行く格好になる。

 一昨日の朝、朝日に光る大沢さんの産毛の左端に、一カ所だけ薄赤い、小さい痣のような、蚊に刺された跡を見つけた時から、大沢は自分の中に隠れていたフェチを認識した。

 高山さんの髪は黒く艶やかで豊かだった。
その黒髪がサラサラ揺れる部分から、何かの拍子に見えるピンクの斑点は、大沢の心拍数を上げるに必要十分な条件を満たしていた。

 丸坊主の自分とはステージが違う。CG加工されたアイドルのポスターを眺める気分で毎朝見ていた大沢さんの左側のうなじに、ソレを見つけた瞬間から大沢さんとの秘密事を共有をできた気分で、内心大きな喜びを覚えてしまったのだ。

「えっ・・・?」

 いきなり「蚊がいなくなるスプレー」と言われても困るわ、ウチ。今朝はそれでいても少々遅れ気味で遅刻するかもしらんのに。
 そんで、なんでなん?毎朝、ウチの後から付いて来ておもんないことしゃべりかけてくるん、やめてほしいわ。

「蚊が、いなくなる、スプレー・・」

 いや、それがどないしてん?あんたも急がんと遅れるで。だいたいクラスが同じだけで小学校も違うし席も離れてんのになんでウチばっかりに付きまとうん。

「知らん」

 冷たく返事する高山さんに大沢は伝えたかった。

 高山さんの家は大きな昔からの名家で、一見、老舗旅館に見える古いお屋敷だから蚊が入り放題かもしれない。
 庭には小さいけど錦鯉が泳ぐ池もあるし、庭には今は紫陽花が花盛りのはずだし。
 二階の東南向きの角にある日当たりの良い高山さんの部屋も、今の時期は開け放している時間が長いはずだ。
 昼間の間に血に飢えた雄の蚊は、きっと壁の隅に隠れているに違いない。
 
 あれさえあれば。あれで一吹きさえしていれば。

「すごい、ええらしいよ。寝る前にワンプッシュしといたら、朝まで蚊がでえへんようになるって。」

 なにが言いたいんやろ、この男は。朝からトンチンカンなことばっかり言うてはる。だいいち、ウチとなんの関係があんねん。朝礼や授業中はなんもしゃべらんとから、おるんかおらへんのか判らんくらいやのに。

「へえ〜・・・・・あっ!」

 この男、なんやいやらしいと思とったら、ウチの後ろからうなじやらホッペタやらジロジロ見てたんや。

「ん?」

 高山さんは無意識に左手でうなじの刺され跡を触っていた。
なにか見せてはいけない秘密の場所をうっかり見られてしまうのは自分が浅はかなんだと思う。

 遅刻しそうで焦ってたので、今朝は身支度も色々ミスってるみたいた。
 学校指定の白いソックスは、よく見ると左右で柄が違うし、歯磨きの飛び滴の跡が中間服のブラウスの右袖にうっすらと残っている。
 言い切れないけど、多分、時間割も翌日の水曜日と間違えてるかも知れない。
 そんなことより、体の一部の急変というものは自分ではどうすることも出来ない。そこをしっかりと、しかも、知らない間に見られていたとは・・・
 
「見た?私のうなじの蚊に刺されたあと。」
 知ってんのやったらワンプッシュの前に虫刺され薬、薦めてーな。

 おっと。ずっと見えてんで?高山さん。今朝は愛想なしやけど、早足で砂利道を歩いたら、うなじの蚊に刺された跡が見えまくりやんか。
 
「ん?いや、いやいや知らん」

 男は図星を射られると平気で嘘をつくものだ。

 なんで「ワンプッシュ」を薦めただけやのに、うなじを見てたのがバレるんやろう?女の子は勘がええって聞いたことあるけどそうなんか?

「見てたんや・・」

 女は相手の嘘を見抜くと高飛車にでるものだ。

 知らんわけないやん。絶対、ヤラシー目でウチのうなじや髪の毛や脚をジロジロ見てたんに決まってるわ。よしっ!

「んー」

「いいよ・・・」

大沢はこの一言に足が止まった。どゆ意味?

「え!」

「見てて」

「・・・・・・!」

 スリーボールワンストライクから予想に反して内角高めに直球でストライクをとられたような、絶好のタイミングでスタート板を蹴ったのにフライングをとられたような。
 14才の純情無垢な少年にはどう返事して良いのかわからないのだ。
 
 しかし「見てて」は継続の証しである。次がある。

 野球はツースリーからだし、フライングは一回目は許される。違ったか?まぁ良い。若いんだから許してやろう。

「今日、蚊がいなくなるスプレー買うから。」

 高山さんはたたみ込むように大沢に言った。
 今日、学校の帰りに高山さんが家の近くにあるキリン堂に寄って、「蚊がいなくなるスプレー」を買ったとしても、今の刺され跡は消えないのに。
 今日の夜からそれを使っても、高山さんの左側のうなじにあるその跡は消えないのに。

「私が蚊に刺されてないか、明日も見てて。大沢くん。」

 明日も、ってことは明日もこの場所で落ち合おう!ってことだし、
見ててはingだし、大沢くん、と指名が入ればこれはもう何をか言わんやである。ライバルの後藤に出くわさないことを祈るばかりだ。
 本当は小躍りして喜びたい展開だが、顔が引きつったまま口は半開きで、脚は前にすすまない。

「ぇ”・・・・・」

 気がつくと高山さんは小走りで駆け出していた。
裏門の手前で一度振り向いて僕に軽く微笑みかけると、慣れた仕草で通用門の横のフェンスの破れをくぐり抜け校舎に入っていった。
 高山さんは、ひざ頭が出るくらいのスカートをフワリと拡げさせ、白くて太めの太ももをチラ見せながら教室に向かった。
 
 大沢はやおらズボンの右ポケットに手を入れまさぐった。




 そこには渡せなかった「ムヒS」がむき出しのまま握られていた。