第32作 口笛を吹く寅次郎 岡山他ロケ地巡り
第32作口笛を吹く寅次郎のロケ地である、岡山県は高梁市、総社市、広島県因島に行ってきました。
2011年2/26、3/5の土曜日です。高速料金一律1000円(当時)でなければ、中々足が向きません。
高梁市は「男はつらいよ」の第8作を始め、最近では「バッテリー」2007年公開、「県庁の星」2006年公開の中心ロケ地になっています。
【1】備中国分寺跡①
物語は寅が結婚するところから始まります。って言うかぁ、「結婚しそう」だったんですね。もちろん、いつもの夢の中ですがヽ(´▽`)/
夢の中の寅を演じて、プロローグ、エピローグに出てくるレオナルド熊さん。この建設作業員スタイル(ニッカポッカ)をやらせれば、この人の右に出る物はいないんじゃないかと思います。
この建設作業員姿がエピローグに繋がるんですね~で、いつものように夢から覚めると今回は電車の中
映画は高梁へ行く伯備線への乗り換えを想定している感じで、吉備線の直線部分(田園地帯が大きく広がる部分県立大学から西側)でしょう。電車に乗って確認する時間がないので検証はパス。
タイトルが出ていきなり国分寺横にある五重塔の引き画から。北側の田んぼの中から撮っています。画面下に舗装された農道が映ってるのですぐ特定できます。新しくできている中央の建物は「下水処理場」。映画から四半世紀たって、やっとこの辺りも集落下水道の整備がなされたようですね。
写真をよく見ると、カメラの位置がややずれていたので取り直してきました。200mほど東になります。2012/0728訂正
【2】備中国分寺跡②
オープニングロールが始まり、レオナルド熊さん親子と寅がピクニックするのは「備中国分寺跡」南側にある敷地。よく手入れがされている庭は、ちょうど梅の咲き始めで、アップ写真を狙うカメラマンがぽつぽつおられました。後ろの漆喰塀の右側が国分寺跡入り口。左の看板に書いてある能書きは現在と違う内容です。もう少しすると梅、桃、桜、サツキと木花が咲き続けます。(2/26)
カメラはぐるっと回って五重塔を映し出します。当時は低い電線がありましたが今は地中埋設されているようです。
【3】備中国分寺跡③
さらにカメラは近寄ります。後ろに見える曲がりくねった道路は遊歩道的に整備されているんですね。
行った翌日(2/27)がマラソン大会で、そのコースになっているのか、やたらのぼりが立っていました。
映画ではこのあと、レオナルド熊さん親子と別れるバスの停留所+寅が渡る小さい橋があるはずなんですが、東側のメイン道路を入念に探しましたが、多分、ここ4,5年の道路拡張工事やらで、なくなっている模様。広大な無料駐車場が作られています。
高梁川を渡る寅 2012/07/28
岡山県は高梁市にやってきた寅は柴又へ電話をかけます。川沿いにある黄色電話。赤から黄色、緑と変化していく公衆電話の中で一番短命だったかな?雨が降ると大変ですσ(^◇^;)
「・・・あの~寺の名前、なんだっけ?ぅ・・寺の名前」
「思い出した、思い出した・・・えぇ?いつ帰るかって?
・・・ふらふらと秋の風に吹かれて歩いている内に、いずれ柴又につくでしょェヘ」
現在の写真を見ての通り、川を挟んで左側は大きく変わっています。堤のはんこ屋さんを始め両角の家は取り壊されていて、奥の三階建ては映画のままでよく見えます。白神商店、田中紙店側は外観が変化していても商売はうまくいっているようですね。
ひろみ(杉田かおる)が寅に両替した10円玉を渡すシーンです。黄色電話は確か100玉が使えなかったかな?東京までなら100円玉の方が安心できるのに(笑)
2013/05/01 この黄色い公衆電話は偽物(^^;だったそうです。そう言や川縁にあるのはおかしいですよね。雨の日なんか大変な公衆電話だと思ってたんです(笑)
隣の田中紙店は現在KOKUYOの看板がかかった文具店。結構大きくなっています。
話は前後しますが、このカットは寅が上手いことお寺の納所さんなれるきっかけとなった、和尚さんの代理でええ加減な法事をする「堤はんこ屋」さんを、白神商店の中から見ています。現在は店をたたんでおられて、敷地いっぱいに現代風住居が建てられていますね。かなり大きな家です。
2013/05/01 ここより南側の通りで「堤のはんこやさん」現在も営業されていました。タクシーから降りて中へ入るシーンでご主人が写っておいでです。
写真の○内がご主人の堤行生氏
現在の店舗 〒716-0023 岡山県高梁市鍛冶町98 ☎
うちもこのような小さな商店をしていたことがあるのでよく解りますが、店の看板は何年かに一回、模様替えをするんですね。撮影時、白神商店は「シキシマパン」がタイアップスポンサー。ある程度から場合によっては全額、スポンサーが負担してくれます。田中紙店は当時からコクヨ(映っていないがKOKUYOの大看板を揚げている)、ライオン事務機もスポンサーです。現在は白神商店さんは特別なスポンサーを置かず、細々とやっておられるようですね。写真左に映る老婦人がご主人。橋はおばちゃんの専用駐輪場でした。
東京に電話をした寅は、諏訪家の墓参りをするため寺の名前を聞き出します。蓮台寺(れんだいじ)の舞台はよく知られている松連寺薬師院・・・の表記の方が多いですが、ロケ地記念碑は泰立寺となっています。どっちも同じ敷地にあるからでしょうけど、ここでは薬師院で統一します。
で、とりあず諏訪家の墓参りをする寅。実際には映画で諏訪家の墓があった土地には、当然ですが「諏訪家代々ノ墓」と書かれた墓柱はありません。しかし、ちゃんとスペースはあります。どういう理由かは解りませんが、墓柱だけない状態は不思議な光景です。
*山間部へ隣接しています。
「っぁぁ~・・先生・・・しばらくだなぁ。オレだよ寅だ。」
「覚えてるか?・・・葬式にはこれなかったんで、今頃やってきた・・・」
墓参りをする寅の後ろに高梁市の街並みが映ります。墓の後ろ(実際のカメラ位置)には乱雑に建立された、大小の墓がありましたので、踏むわけにも行かず(・・;)r少しアングルがずれてしまいました。寅の後ろ(画面左)の見切れているお墓は、今はありません。区画だけでした。
寅は線香をあげ、ウイスキーの小瓶をチビリとやりながら墓前に報告しています。
「博はちゃんとやってるからな。さくらとも仲良くやってるし。何の心配もいらねぇよ。」
お墓を拝む寅。ここでは階段脇に置いたトランクが良いアクセントになっています。
この全体が見渡せるアングルでも諏訪家の墓(想定上の)の墓柱がないのが解りますね。やはり美術さん製作の発泡スチロール製でしょうか?実際には増えたり、なくなったり色々ですが大きな墓柱は昔のままです。
もちろん、僕も拝ませて貰いましたよ。ええ チーンΩ\ζ゜)
すみません。ここでも話は前後しますがご勘弁を m(__)m
ここは、寅がはんこ屋の法事を無事努めて、運転手に関敬六さんが扮するタクシーが到着するアプローチ?みたいな通路です。後で出てくる有名な大階段とは続きのようですが、実は一つ道路を挟んでずれています。山門が間にあります。それにしても長門さんはネイティブなんで言葉に違和感がありませんねー
↑山門。タクシーを降りたら見える景色。ここをくぐると長い階段がある。↓
鐘突堂の鐘を見切って高梁市の風景が映ります。一見、何も変わらないように見えるのが高梁の良いところ。ここは墓に参る前の切り替えのシーンです。少しアングルと方向が悪いですが足場がありませんでした。
墓参りを終えて挨拶でもしようと見回しますがだれもいない様子です。
「お世話(お寺、にも聞こえる)さ-ん?」
「お留守か・・・・お留守ですかぁ・・・・」
これは薬師院の本当の勝手口を覗いています。扉は当時のままの物。奥は住居になっています。何故か後で出てきますが(笑)
釣鐘堂、手水場など少し移設していますが、本体は撮影当時の物を現在も流用しています。
「さぁて、柴又にでも帰るか・・・・」
誰もいない寺から立ち去ろうとする寅ですが、この直後に運命的な出会いが待っていたのですね。
引きの画面で大階段が横から映ります。構造的には大変な物ですね。今でもそうですが、全て手作業ですから苦労が忍ばれます。
寺院でこれほどスケールの大きい野面石積みは珍しいのではないでしょうか。まるでお城ですね(^o^)
さてこれが一番みんなにインパクトを与えるシーンなのか、訪れた皆さんが必ず撮ってブログなどにUPするポイント。
大階段から下の山門を覗く光景です。大林映画の「転校生」を彷彿させますが4倍以上のスケールはありますね。手すりは鉄製からステンレス製に変わり、支柱も増えて頑丈な造りになっています。
構造上と言うか制約上と言うかこの急勾配は変えられないんでしょうね。傾斜は40度前後で、この段数ですと酒を呑んでなくてもキツかったですσ(^◇^;)
さあ、いよいよ朋子(竹下景子)さんの登場です。酔っぱらった和尚(松村達夫)さんを支えながら階段を上ってきます。このカットは上から5段ほど下りた場所。バックは高梁市内をカバーする電波塔でしょうか、「男はつらいよ」の地方ロケ(後半のシリーズ)にはまぁまぁの頻度で出てくる背景です。
「お父さん、大丈夫?・・・ありゃりゃぁ、やっぱり酔うとる。・・・」
「法事の時はお酒を控えなさい、言うとるでしょ。」
薬師院の入り口です。右下にはロケ地の控えめな表示。今は扉を開けると玄関先にロケ写真などの資料が展示されています。昼間は閲覧自由。映画のカットは夜ですね。灯りの感じが格子戸を透かしてアンティークな雰囲気が良く出ていると思います。
蓮台寺シーンの最後に寅の渋い姿を(^-^)街並みもgood!
またまた話は前後しますが、ひろみ(杉田かおる)と一道(中井喜一)のシーンを時系列で。
酒屋(白神商店)の娘ひろみは、お寺(蓮台寺)の長男、大学生の一道と恋仲です。しかし一道はお寺を継ぐ気はなくカメラマン志望でした。ある日、一道は学費を使い込んだのが父にばれて大喧嘩。
急に高梁を離れ東京に出向くことになります。電話でそれを知らされたひろみは、追いかけるものの間に合わず悲しみに暮れるのです。
このシーンはその前のラブラブ(*^o^*)シーン。伯耆大山に撮影旅行に行く一道が、ひろみの水着写真を見せると
「ん?私!?ヤダヤダ、いけんよぉ~」 ┐(´ー`)┌
ここは寅が最初に来てのぞき込んでいた薬師院の「裏出口」。「勝手口」と表示されているのは映画だけかな?だって、普通は内側(住む人側)には向けんでしょう。お寺の家族が住むゾーンで玄関の右奥に位置します。右側の当時のままの家は隣の寺(松連寺)の方が住む家と推測します。
(左が泰立寺、右が松連寺)
ここが今回目玉の一つ。訪れる前の下調べで道の曲がり具合と、勝手口からの通路ということでマップで目星をつけましたがズバリでした。こう言う時、なんか、すごい嬉しいですね。バーチャルでアタリをつけてた物が大正解ですと充実感で満ちあふれます。いや、大袈裟でなく。
一道がひろみとじゃれて大山へ撮影旅行にいくシーンの別れの場所です。ノーヘルのひろみが手を振ると、1BOXのバン(ニッサン・バネット)から一道が手を振り返します。未だにガードレールがありませんがカーブミラーが追加されています。新設カーブミラーは、大抵、交通事故があったところですから、多分、あれから下の畑にダイブした方がおられるのでしょう(笑)。
目印の車庫の家はそのままですが、1枚扉のシャッターに取り替えているようです
諏訪家の法事が一段落した頃、一道は父親と喧嘩して急に東京に出ることになります。駅からひろみに電話をかけるシーン。JR高梁駅に向かって一番右隅
電話を受けたひろみは一道に一目会おうと電車の通る踏切に向かいます。この場所判断と電車通過時間の掌握は、なかなかの鉄チャンでも出来ませんが(笑)。この、ひろみが駆け抜ける通りを探すのに一番時間を使いました。
踏切の位置はだいたい予想していたものの、「佐々木食料品店」がググってもHITしないのでとりあえず、正攻法として「白神商店」を出て「堤のはんこ屋」を北上する通りを歩いてみます。
1回目はキャプった写真を車に置き忘れて闇雲に歩いていたんですが、偶然「フードショップササキ」と言う、旧佐々木食料品店らしき店を見つけてルートを確認。戻ってもう一度歩き直してみました。
映画では「山本**」で下半分がありませんが、そこは「山本印刷所」でした!ヒヤッホウ!見つけました。やはりこの通りでOKでした。
よーく写真を見比べてください。2階にはすだれが掛かっていますが、27年経った今も全く同じ位置に掛かっています。何代目のすだれでしょうかw(゚o゚)wワオ!!
こうなってくると「高梁ランドリー」が隣で・・・の予定が、すでに営業はしておられない様子。電柱の位置関係と残っている建物で決め打ちです。途中でひろみが路地に入って、近道をしているようですがこれはフェイント。左折では線路から離れるばかりです。一応、それらしき路地を見つけましたが、龍野のボタン路地と同じく、取り壊されたりで確信が持てませんでした。
さてさて、ひろみは無事目的の踏切に到着。このシーンから見える「アーケードのある佐々木食料品店」をMapfanやらGooglEarthなどで探しましたが家では確認できませんでした。
お昼前にふらふら歩いていたどん詰まりの角に「ササキ」の看板が。見れば食料品扱いのお店。でもアーケードがない。で、お店のおばちゃんに突撃取材を試みたのが当たり(笑)
「すいませーん、お尋ねしますが、このお店に昔アーケードありませんでしたか?」
「ええありましたよ、4,5年前に取り外しましたけど」の返事。
「そいじゃぁ、あの踏切が寅さんのロケ地ですか?」と聞くと店の外で色々教えてくれる。
なんか・・・よく見たことあるな・・・なんと、その踏切の向こうには映画「バッテリー」の主人公、原田巧(林 遣都くん)の家やん??何回も来てるやん!ここ(笑)
「あれ、バッテリーのロケ地ですよね?」と聞くと
「ええ、ウチの2階からも撮影してましたよ。暑い時だったんで、偉い人は店でビールを呑みながら命令ばっかりしてました・・・」
高梁市はすごい所です。
(電車に手を振るシーンは違う踏切です。下調べが足りませんでした(笑)吉川氏のサイトで復習していると、そのことにも触れられていました。残念。)
・電車に手を振る後半の踏切のロケ地を開拓しました。
さらに!電車ももちろん違うのだ!が、誰か教えて(笑)
【25】岡村邸①
博の実家の設定である「岡村邸」石火矢町の武家屋敷の並びにあります。近々、火事にあったと言うことで補修工事がされていました。あの剥げかけた漆喰の壁も真っ白でした・・・・
この写真の方向に線路があり、第8作では蒸気機関車、第32作では電車が通ります。
逆方向からのカット。奥に見えるのは「高梁高等学校」。当時の女学生のスカートは長いですが、今はすごく短いです(笑)
このロケ地を車で廻るときに、この武家屋敷跡地の無料駐車場が便利です。トイレ、自販機あり。
電車で来られる方は、スタートがもちろん高梁駅で、次ぎに松連寺コースですね。
トイレの位置に中心があります。
法事に集まる諏訪家の一族がここですったもんだします。実際、出演者の主役級がここ「油屋」に宿泊したのは有名なところ。木造3階建ては今の建築基準法では許可がおりません。
昨今の新しいホテルに押されて、なんとなく陰が薄そうに思えましたが、やはり御用達にされている方がおられるんでしょう。
【27-2】朋子さんが買い物をする店
油屋旅館の近くには、日常風景として朋子さんが買い物をするお店とその通りがあります。何気ない場所ですがそれだけに探し出すことは容易ではありません。
ここも先輩諸氏の情報を元に訪れることが出来ました。
方向から高梁高校の生徒が帰る方向なので、夕食用の買い出しでしょうか?左隅のヤマハ・メイトはひろみの物と使い回しかな?
【28】魚釣りの場所
長門さんと関敬六さんが並んで釣りをしています。
「まー倅を追い出して、自分、は養子に入る、、、どうやら寅さんの思い通りにいっとるようじゃの」
「養子になる、ちゅーても、寅さん本物の坊さんじゃないじゃろうが。」
「さぁ、せーじゃがぁ、、、せーが朋子さんの悩みじゃっちゅー話じゃ・・・・オゥッ!」
シーン変わりでの布石。こういう時って本音が出るんだなーと言う(笑)二人だけで釣りをするとなりがちな会話です。
場所は「油屋旅館」道路向かいの岸。信号を渡るとすぐに川に降りていく道があります。取材日は水量が多く、釣りをしている位置まで行けませんでした。奥に見えるのが「方谷橋」です。
ちなみにこの釣り方は、関西で言う「ハエジャコ」釣り。標準和名は「オイカワ」です。長門さんの竿裁きは「送り込み」と言う、なかなか素人には難しい技ですよ!
【29】方谷林公園(ほうこくりんこうえん)
この高梁ロケ唯一の高梁川右岸(西側)。西側からの風景も素晴らしい。と言うより、この逆からの風景を一つ入れるのも、よくロケでは使われているようです。第17作龍野ロケでもわざわざ川を渡って有名な山の風景を入れていましたね。
「そんなに心配だったら、あと追っかけて東京行きゃーいいじゃねぇか。何とかやっていけるよ、、愛してれば。」
ひろみと寅が話をしていますが、ここ方谷林公園にたどり着くまでにはちょっとしたピクニックです。車では行けそうにないので、橋を渡った所の広い道路に駐めて階段をオッチラ上っていきました。
撮影ポイントらしきところには東屋が設けられていて西からの高梁の風景が一望できます。
ここからはエピローグに入ります。
当時、因島から向島まではフェリーしかなかったはず。今はしまなみ海道が開通しているので何のストレスもなく因島まで行けます。山陽自動車道を「福山西インター」で降り、国道2号線経由で「西瀬戸道」に乗ります。
因島大橋(レオナルド熊さんが働いていた工事現場の設定)を渡り「因島北インター」という島の真ん中で降りて、地道を後戻りする感じですね。
当然、もうフェリー乗り場はなく、海水浴場(大浜海水浴場)に整備されています。砂浜は非常に美しいし波も静かで、夏の賑わいは想像に難くありません。
このロケは、昭和58年11月20日の因島大橋渡り初めの日に行われたらしいのですが、立て看板の字を読むと日付が消されてるようです。(*月15日)年を越すと昭和59年の文字が入るので、多分12月15日なんでしょう。
左には小島(四十島)対岸の赤白の電波塔?も健在。それにしても、今でも映画と同じく綺麗な水質です。
日本のエーゲ海と呼ばれている「牛窓」と言う所がもっと西にあり、僕も何回か訪れていますが、ここの方が砂浜も美しく景色も壮大ですね。当然、搭乗桟橋などは撤去されています。
実は因島に到着した時、ちょうど昼時だったので因島で一番美味いラーメンとNETで評判の「萬来軒」(ばんらいけん)に行きかけたのですが満員御礼。で、仕方なく全部廻った後で昼食をとることにしました。
この時は「一福屋食堂」が現存するなんて想像だにしなかったし、現地はNETのマップですぐ解りますが、そこには「一福屋食堂」は載っていません。
現着して驚きましたねぇw(゚o゚)w オオ-「まだあるやん!」しかも看板は昔のまま。
これはスゴイ。あのおばちゃんは27年間、不景気を乗り越えてあのおでんを作り続けていたんでしょうか。
お店の前は2台しか駐車スペースなく、で、ここも満員御礼(笑)当然、昼食をここで頂くことにしました
一福屋食堂の真横には壮大な公営駐車場があります。海水浴シーズンにはさぞかし賑わうのに違いありません。夏の間、一晩中騒ぐ若者で、おばちゃんも夜寝られんのじゃないかと心配するくらい位広いです。
多分、因島カーフェリー関係の建物があったのに違いありません。お店の近くに駐車スペースを確保(と言っても200台は止めれる場所に僕一人)して先客が帰るのを待ちながら、キャプって印刷した写真を比べながら色々と撮影することにしました。
5分ほどで先客が帰ったので入店すると、すっ、すごい・・・27年前から変わっているのは壁と入り口くらいで、センターの四角いおでん鍋?もそのまま。で、おでんのスープも、もしかして27年間、継ぎ足し継ぎ足しで来たの?と問いたくなるような色(゚
o゚;)
同時入店の常連らしき二人連れの話を盗み聞くに、どうもすじ肉が美味いらしいが、売り切れでした。
僕は、中華そばといなり寿司二個を注文。映画を見てここを探して来たことを告げると、オババ(ご自分でそう呼んでいたw)はビックリされていました。映画を見てここまで来る人は、最近あまりいないようなんですね。
「オババもあれから両足が悪ーなってなぁ」
と足を引きずりながら中華そばを運んで来てくれます。いなり寿司は自分でガラスケースから取り出す、街の食堂で良くあるシステム。
他にお客さんがいたので詳しく話を聞けませんでしたが、店内の撮影をさせてもらいました。最後に厨房を・・・とお願いしたら
「厨房だけはやめてつかぁ。映画の時もなぁ厨房には向けんようお願いしたんよ」
と言われました。なるほど・・・すごい厨房だもの。なにがすごいって?説明はしにくいです。平成の時代になってあのような厨房を覗いたのは、香港の下町のラーメン屋以来。これ以上詳しく書けないですが地図に載っていない食堂へは覚悟をきめてどうぞ(笑)。
中華そば¥430といなり寿司二個¥260で計¥690。僕は1000円札を出してやっぱり言いましたよ( ;^^)ヘ.・・・ウソデス.
「おばちゃん、釣りはいらねぇよ」・・・・と言いたかった
オババはニコッと笑いながらも¥310の釣り銭をくれました。計算は電卓。オババがお金を数えている間は、僕が厨房の扉を持っててやります・・・・。
「いいってことよ」・・・・と言いたかった
ですが他にお客がいたので、何も言えず結局その釣り銭は受け取りました。人見知りの性格を直したいです(笑)
オババの年齢は僕の母親とほぼ同じ。僕の母親がやっていたお店は昨秋に閉店しましたが、このお店もそう長くはやっていけないでしょう。オババの引きずる足を見ていてそう思いました。
*後の取材記事
【34】丸正青果(まるしょうせいか)
一福屋食堂周辺のカットは、フェリー乗り場も含めてラストの洗濯物のシーン以外、半径30mの間の狭い部分にあります。でこの「丸正青果」の倉庫は一福屋食堂に隣接する建物で、ロケ地探索の目印になります。ロケ地を探すときは、こんなカットがヒントになる場合が多いのでコマ送りしながらDVDを観て、固有名詞を検索し、地図ソフトとグーグルアースで探します。あと背景の山も大切。まずは経年変化がないですからね。あっ、あと電柱も忘れずに。動いてないのはそのままである場合が多いですよ。
【35】中心部ロケ地マップ
高梁市中心部だけアップします。備中高梁駅と松連寺は少し離れているので省きました。リンクの地図でお判りかと思います。
これで「男はつらいよ」岡山・兵庫他ロケ地探索は終わりです。m(__)m